名古屋城の金シャチが「降臨」しています

名古屋城天守閣から金の鯱(しゃち)が地上に下ろされました。金の鯱は雌雄一対で名古屋城二之丸広場に置かれて広く市民に公開展示されています。これは、名古屋市が新型コロナウィルスに疲弊している人々を元気づけようと企画されたものです。

雌は、「海しゃち」と名付けて水を張った舞台に飾り、雄は、「山しゃち」として砂山を模した台の上に設置されています。金シャチは、まじかで見ると想像以上に大きく迫力があります。また、金箔を張った鱗など1つ1つが精巧につくられています。長期間、天守閣の最上部で風雨にさらされていても「金」製のため劣化することがありません。

名古屋城二の丸広場での展示は4月2日までで、その後は4月10日から7月11日まで名古屋の中心市街地「栄」の「ミツコシマエヒロバ」に展示されます。そして、7月中旬には天守閣に戻る予定です。名古屋城での展示は城への入場料(500円)がかかります。栄での展示も有料(小学生以上500円)です。途中の4月6日には、岐阜県や長野県でも展示される予定です。

「鯱」とは、海に生息するシャチではありません。全く別物の想像上の生物です。体は魚で頭は虎、背中には幾重にも鋭いとげがあり、尾ひれは空を向き反り返っています。

鯱を天守閣に設置する様式は、日本の城に見られる建築様式でした。鯱は水を操ることができるため、防火の守り神として普及していました。火災発生時は、鯱の口から水が湧き出て火災の延焼を防ぐと信じられていました。

天守に金鯱があった城は、名古屋城以外にもありました。主な城として「安土城」「大阪城」「江戸城」「駿府城」「伏見城」がありました。現存している名古屋城の金鯱も第二次大戦のとき名古屋大空襲で焼失しています。現在の名古屋城と金鯱は、戦後市民の力で復興されたものです。そのため、名古屋の人々にとっては戦後復興のシンボルであり、何かというと「金シャチ」が登場します。

名古屋人にとって郷土を自慢できるものがあまり多くありません。最近は、以前に比べて名古屋の魅力を積極的に発信しているため、多少は知名度が上がっているかもしれませんが、全国的には魅力の少ない街の代表選手となっています。

そんな名古屋人の心のよりどころが「金シャチ」です。そのため、何かというと「金シャチ」が登場します。名古屋で行われる大きなイベントには、どこかに金シャチが登場します。戦前には「名古屋金鯱軍」と呼ばれる野球球団が活躍していました。東京巨人軍と名古屋金鯱軍の試合もありました。これが現在の中日ドラゴンズにつながっています。

「尾張名古屋は城で持つ」と名古屋ではよく言われています。これは、江戸自体に流行した俗謡の一節「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は新城(しんしろ)で持つ」からきています。「お伊勢参り」で全国的に有名な「お伊勢さん」のことをうたった一節の付けたし部分のフレーズですが、この部分を切り取って名古屋アピール用の独立したキャッチコピーとして使用しています。

金シャチは戦後の名古屋の歴史の節目で地上に「降臨」しています。今回が3回目の降臨です。1回目は、1984年に名古屋城再建25周年を記念して下ろされました。

2回目は、2005年の「愛知万博」の開会式に参加するため降ろされました。このときは、名古屋市内をパレードして多くの市民が沿道から金シャチを見ることができました。万博の展示品の中でもロシアの「冷凍マンモス」とこの「金シャチ」が人気を集めました。

今回は3回目の降臨であり、名古屋市によれば、「コロナ禍の早期収束を願って、市民に感謝とエールを伝えて、少しでも早く元気になって頂きたい」との願いを込めて行っているとのことです。今回の金シャチは、「アマビエ」的な役割を担っての登場となっています。

2017年に国宝犬山城の天守閣に落雷がありました。このとき雷が落ちた場所は、天守閣北側の鯱でした。尾びれの部分がそっくり雷の衝撃で破壊され地上に落下してしまいました。しかし、犬山城の被害はこれだけで済みました。鯱が体を張って国宝犬山城を守ったと感じた方も多かったと思います。

降臨した金シャチをまじかに見て手を合わせると何かご利益があるように感じると思います。一日も早いコロナの収束を願い人々が安寧に暮らしていけるように「金シャチ」の神通力に期待をかけたいと思います。

 

 

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