「年金の繰り下げ受給」に落とし穴はないのですか
「年金の繰り下げ受給」とは、年金の受給開始年齢を通常の65歳より遅らせて受給することです。65歳以降も働いて一定の収入がある場合、年金の受取を遅らせることにより、受け取る年金額を増やそうとするものです。
平均寿命が年々長くなり、今や「人生100年」時代とまで言われるようになってきました。長い老後の安定した収入を確保する手段として、できるだけ長く働いて年金受給開始年齢を遅らせ、より多くの年金を受給できるように考えている方が増えています。
年金制度も令和4年4月から、繰り下げることのできる受給開始年齢の上限を70歳から75歳に引き上げられました。こにより、最大75歳まで年金を受給しないで、76歳以降の年金額を大幅に引き上げることができるようになりました。
まずは、制度の基本的な内容からご説明します。
( 「年金繰り下げ」の制度内容 )
◆ 繰り下げ受給は、1ヶ月遅らせるごとに年金額が0.7%増加します。
1年遅らせれば、8.4%増加します。5年遅らせれば、42%増加します。上限の10年遅らせれば、84%増加します。つまり、65歳で200万円の年金を受給できる方が、75歳まで繰り下げれば、368万円受給できることになります。
◆ 増加した年金額は生涯に渡って続きます。
◆ 繰り下げる方法は、何もしなければ自動で繰り下げられます。
65歳になると日本年金機構から年金受給開始のお知らせと手続き案内が送られてきます。この手続きをしなければ、自動的に年金開始年齢は繰り下がっていきます。
◆ 老齢基礎年金、老齢厚生年金のいずれか一方みの繰り下げもできます。
現在の収入から考えて、老齢基礎年金だけ受給して、老齢厚生年金は繰り下げるようなことができます。また、老齢厚生年金にセットされる「加給年金」を受給するために老齢基礎年金のみ繰り下げることもできます。
◆ 繰り下げていたが、途中でやっぱり受給したくなったら受給することができます。
65歳の時点では70歳まで繰り下げるつもりでいたが、68歳の時に気が代わり受給したくなったら、そのときから受給開始することができます。手続きは年金の通常の受給開始手続をすればよいだけです。繰り下げた3年分の25.2%の増加分は一生涯受給することができます。
手元に余裕の生活資金があるのであれば、年金の繰り下げは定期預金の金利より遥かに高い高利回りの金融商品と考えることもできます。しかも絶対的な信用力があります。
◆ 繰り下げていたが、途中で病気になり、繰り下げ分を一括で受け取ることもできます。
65歳の時点では70歳まで繰り下げるつもりでいたが、68歳の時に病気で入院となり一時金が必要な場合は、繰り下げた3年分の年金を一括で受け取ることができます。但し、3年分の25.2%の増加分は貰うことができません。本来の年金額の3年分を一括で受給することができます。但し、最大で5年分が上限となります。
手元に余裕の生活資金があるのであれば、一種の疾病・傷害保険と考えることができます。入院や手術で一時金が必要なときに払い出すことのできる保険契約と考えることもできます。
このように年金の繰り下げ受給は、魅力の多い制度となっています。本人の健康状態やライフスタイルともよく相談して検討することが必要です。
ところで、この制度には「落とし穴」もありますので注意が必要です。
( 年金繰り下げ受給の注意点 )
(1) 老齢厚生年金を繰り下げると「加給年金」が受給できなくなります。
「加給年金」とは、年の差のある夫婦で、例えば夫が年金開始となったとき、夫に対して配偶者手当を年金として支給するというものです。
より詳しく言えば、65歳になった時、厚生年金に20年以上加入している人で、厚生年金の加入歴が20年未満の年下の配偶者がいる場合、加給年金として年間 約39万円が支給されるというものです。
この加給年金は、老齢厚生年金の受給繰り下げ期間中は受け取れません。繰り下げたことによる加給年金に対する増加措置もありません。従って、繰り下げによる年金の増加分と加給年金がもらえないことを加味して判断する必要があります。
(2) 繰り下げ分の一括請求をする場合、税金に注意が必要になります。
年金の受給は所得となりますので一定の額を超えると税金 (所得税や住民税) がかかります。一定の額のことを「公的年金等控除額」といいます。年110万円が控除されます。
年金受給を繰り下げて数年分を一括して請求すると数年分の年金が受給できますが、その年に適用できる公的年金等控除額を超えてしまいます。この場合、他の所得と合算して必要な税金を納める必要があります。また、所得金額が多くなれば、社会保険料 (健康保険や介護保険)の納付額も増加しますので注意が必要です。
(3) 繰り下げ受給の「損得シュミレーション」がありますが、税金や社会保険料を考慮した検討が必要になります。
65歳から年金を受給するのに比べて何歳まで生きたら繰り下げが得になるかというシュミレーションがあります。いわゆる「損益分岐年齢」と言われるものです。受給開始年齢を70歳にした場合は82歳、75歳にした場合は87歳というものです。
年金を65歳から受け取らずに70歳まで繰り下げたとき、生涯受取年金総額は82歳より長生きすれば多くなるというものです。
この分析は正しいのですが、受取総額だけに着目していますので、実際いくら使えるのかという観点が欠けています。つまり、年金収入が増えれば所得が増え、その結果、税金や社会保険料が増える点が考慮されていません。
具体的な負担増加項目としては、所得税、住民税、介護保険料、健康保険料、病院で支払う医療費の自己負担額、などがあります。本人の所得や各種控除事由によって増減金額が変わってきますので一律での判定は難しくなります。
先ほどの「損益分岐年齢」シュミレーションは、収入面からのシュミレーションですが、支払う負担を考慮した「手取り」ベースのシュミレーションが必要となります。
計算は個々人の状況により変わりますが、大まかに言えば、「損益分岐年齢」で出された年齢に4~5年程度を加算した年齢と考えておいた方が無難です。
つまり、65歳からの年金受給を70歳まで繰り下げた場合、82歳まで長生きすれば元が取れるというのではなく、87歳まで生きないと元が取れないということになります。
年金受給額の計算は複雑です。個々人の状況も様々ですので、年金事務所や社会保険労務士の先生に相談して計算してもらうと良いと思います。