「尾張名古屋は城でもつ。」 本丸御殿、堂々完成しました。

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ。 尾張名古屋は城でもつ。」三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」に歌われている有名なフレーズです。 この言葉は、「尾張の名古屋は名古屋城のおかげで保つ、つまり繁栄している。」 という意味になるそうです。

江戸時代、伊勢には津の港があるので沢山のお伊勢さんへの参拝客が来て津の港は大変な賑わいを見せていました。尾張の名古屋は辺鄙(へんぴ)な田舎でしたが、徳川家康の命による天下普請によって大きな城が出来たので、それより栄えている。というような意味でしょうか。

名古屋の人の好きなフレーズだと思いますが、あまり正確な意味は理解されていないような気がします。「名古屋は、名古屋城のお陰で持ちこたえている」くらいに思っている人も多いかと思います。

名古屋の人は、とにかく名古屋城と金シャチが大好きです。好きというより、他に自慢できるものがあまりないので、何かといえば名古屋城と金シャチになってしまいます。世間から色々言われても名古屋の人は、やっぱり名古屋城と金鯱(シャチ)が好きなのです。

中日ドラゴンズは、大昔は「名古屋金鯱軍」と言われていました。巨人軍対名古屋金鯱軍の対戦もありました。

今名古屋城が熱いことになっています。コンクリート製の天守閣を解体して、木造建築に完全に復元する計画が始まっています。世界にも類例を見ない木造建築物の完全復元は、完成すれば確実にギネスものです。現在、漆喰(しっくい)による壁の耐震強度測定を大規模な耐震実験装置を組み上げて行っています。なかなか、震度6程度以上にも耐えうる強度を出すのは難しいみたいです。

 

名古屋人は、ともかく生真面目で職人気質の方が多いと思います。製造業の街ですから仕方がありませんが、やることなすことキッチリ手を抜かずにやりたがる傾向が強いと思います。完成したものに自信と誇りを持てるように一生懸命頑張ってやり遂げる。これが名古屋人の心意気だと思います。

名古屋城天守閣もいっさい手を抜かず完全に復元されることと思います。

今回、本丸御殿が堂々完成しました。既に大半は完成していましたが、残っていた部分がついに完成し、一般公開できるようになりました。総面積約3100平方メートルの復元は、締めくくりとなる「上洛(じょうらく)殿」などの完成でようやく完了しました。総工費150億円でした。

とにかく、名古屋人のこだわりの限りを尽くした、正確な復元御殿です。内装を飾る豪華絢爛な絵画も全て一から手作りで復元したものです。顔料の一つ一つ当時のままの原料にこだわって作成されています。一切の手抜きはありません。

(「名古屋城本丸御殿」 表書院廊下南西角より一之間を見通す)
写真提供:名古屋城公式ウェブサイト (名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所)より

尚、室内装飾は、今回公開されたものが全てではなく、修復は今後10年近くかけてさらに継続実施されていきます。

現在、公開されている本丸御殿を見学すると、その豪華絢爛さとそのスケールの大きさに驚かされます。今回完成した上洛殿は江戸の将軍が京都への道中で使う専用の宿泊所で、狩野探幽(かのうたんゆう)の代表作「雪中梅竹鳥図(せっちゅうばいちくちょうず)」のふすま絵や豪華な欄間を再現しています。中には、将軍上洛時の将軍用の湯殿(サウナ)もあります。

但し、精魂込めて作られた建造物ですので、見学者の不注意で傷でもついたら大変なことになります。入場者への注意事項として、リックサック等の背にかけるものは、誤って壁や柱などを傷つける恐れがある為、前で持つよう指導されます。

とにかく名古屋に来たときは、名古屋城の天守閣は工事中で見れませんが、是非、本丸御殿を見て欲しいと思います。名古屋城観覧料500円さえ払えば、本丸御殿は見学できます。城好きの歴史マニアの方は、石垣も見どころが一杯あります。

天守閣が完成するまでは、「尾張名古屋は、本丸御殿でもつ」です。

 

 

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