三重県が「度会 (わたらい) 県」になるのですか。

現在の三重県南部に明治初期およそ5年間だけ存在したという幻の県「度会(わたらい)県」が復活し、三重県の公式サイトで「度会県民」を募集しています。一体、何が起きているのでしょうか。

三重県の「度会県公式サイト」よれば、次のように度会県発足の狙いを示しています。

『地域を想うさまざまな人びとが関わることで、三重県南部地域を元気にしたい! そんな想いから、平成30年8月に度会県が復活しました。できる人ができる範囲で地域を応援する。地域に関わる。 そんな想いをコンセプトに、多くの人に地域づくり活動に関わってほしいという地域の願いと、地域のために何かしたいという人びとの想いをつなげています。あなたも度会県民になって新しい地域づくりを応援しませんか。』

募集されている「度会県民」は、なにも三重県南部地域出身の人に限りません。この取り組みを面白いと思う人を幅広く募集しています。「県民参加型プロジェクト」や「度会県民の集い」へ参加しながら、それぞれの関わり方でまったく新しい地域づくりを行っていくみたいです。

度会県民に登録すると、県民証をもらえ、度会県公報が届きます。勿論、入会金、年会費一切なしです。

三重県南部の地域活性化策として、過去の古い県を復活させ、新しい風を起こそうとしているようです。なかなか奇抜なアイデアだと思います。

ところで、あまり知られていませんが、愛知県も元々は、名古屋県として始まっています。名古屋に住む者として、時々、名古屋県の方が分かりやすいと思う時があります。東京等で仕事をしている時、名古屋と言えばその場所を明確にイメージしてもらえますが、愛知と言うと「えっと、どの辺だっけ」となる時があります。

愛知万博で少しは知名度が上がりましたが、それ以前は、場所が正確にイメージできない方が多かったような気がします。

名古屋は、都道府県名よりも都市の名前の方が有名な場所ということになると思います。神奈川県や宮城県や兵庫県も似たような傾向があるのではないかと思います。

愛知県の歴史を説明するつもりはありませんが、名古屋県(なごやけん)は現在の愛知県にあった県です。江戸自体末期の尾張藩は、名古屋藩と言われていました。それが、1871年(明治4年)7月の廃藩置県で名古屋藩を引き継いだ名古屋県となりました。

知藩事は尾張徳川家の当主が就任しました。その後、隣接の額田郡や犬山県との統廃合を経て1872年(明治5年)4月2日 名古屋県が県庁所在地の郡名である愛知郡にちなんで愛知県に改称しました。

つまり、愛知県も当初の立ち上がり段階では、名古屋県と称していました。その意味では、度会県と同じということになります。ただ、今更、名古屋県には戻れないとは思います。県名への思いは人それぞれにあるとは思いますが、愛知県への愛着も強いものがあります。

名古屋市の周辺都市に住まわれている方で東京などで出身を聞かれると「名古屋です。」と答える方が多いと聞きます。住んでいる市町村名を言っても知らないと思われるし、愛知県と言うよりも何となくわかり易そうな名古屋と言った方が手っ取り早いからみたいです。

若いころ海外(米国)に出張などで行った時、出身を聞かれた場合、東京と答えていました。当時の日本で東京以外で米国人に理解されるのは、京都、横浜、沖縄くらいでした。その為、名古屋を説明するのが面倒なので東京と言っていました。

自分の出身地が有名になり、町が活性化することはうれしいことだと思います。三重県の度会県構想の今後を期待したいと思います。

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